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当ブログ運営者まなぶんのプロフィール

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このブログを見てくださってありがとうございます。

こんにちは。このブログを運営している、まなぶん@kamokamomanと申します。

東京生まれ、青森、仙台、名古屋育ち。

名古屋市立大学経済学部卒業→経済学選科生

選科生時代に経済学のウソに絶望し大学院を離脱。

パチプロ、競馬、麻雀で稼ぎつつパチンコ雑誌のライターとして活躍してました。

誘われて中途入社した一部上場パチンコ系メーカーの営業職を半年で退職。

とある保険会社の社長の命令で、地方の工場勤務に転職。

遊び人だったボクが、なぜか現在は資材購買のプロとして25年、日々コストダウンと後輩の指導にあたっています。

毎日のジム通いを8年継続する筋トレマンでもあり、定時後は主に女性のトレーニング指導をしています。

40代でついにベンチプレス100キロも達成!

特技は個人でお金を稼いで、なにごとにも囚われない生き方をすること。

座右の銘は「いつだって、どんなときでもやり直せる!」

本業を軸にしたコンサル副業で月20~50万円。

昔は定時後のパチスロで、現在は土日の副業競馬で月20万円稼いでいます。

競馬の稼ぎは全世界株の投資信託と仮想通貨に全振りしつつ、最近はNFTに夢中。

とにかく新しいものに挑戦する40代(もうすぐ50歳)がNimUという人。

興味のあることが多すぎて、ブログも複数作っています。

副業競馬×パチプロ人生:パチプロの稼ぎ方と競馬の稼ぎ方を発信するブログ

ニムブログ/無料でBitCoin:初心者向け仮想通貨・NFTの始め方ブログ

週末馬券死カモカモマン惨状:k-popと競馬とスロットのアメブロ

パチプロ人生もうすぐ死反省記:パチプロ時代のアメブロ

プラモデル池田迷作会の日々:プラモデル同好会のFC2ブログ

記事内容は恥ずかしいので見ないでください(焦)

いったいどんなやつや!と興味を持っていただけたら、長~い自己紹介を呼んでみてくださいませ。

今はジムに通って筋トレをがんばっている会社員なので、怪しく無いですよ(笑)

ジムに通う前
ジムに通う前の自分
ジム3年目

 

とはいえ、30代には借金が800万円になったこともありました。

理由は、まあいろいろです。

人生とは怖いもので、ダメなときにはいろいろダメな事が重なりますね。

 

・家族が詐欺にあう

・家族の借金が判明

・FXで負けまくる

 

ざっと、こんな理由です。

引退して収入が無い家族の借金も肩代わりする事になり、一気に借金800万円に転落です。

今は借金があっても余裕ですけど、借金がつらいのは生活費が足りないときと、何より好きな事が制限されることですよ。

給料が振り込まれて翌日に残金2万円だったとき、急に息苦しくなってきて、心臓はバクバクするわ、部屋の中をウロウロしながら、言いようのない絶望感と不安感に襲われた事が忘れられません。

その瞬間になってからやっとことの重大さに気がつくのだから、どんだけお人よしなの?って感じですよね。

それからというものは、めっちゃ勉強しましたよ。特にお金に関する知識です。

それまでは、給料に加えて、パチンコと競馬とライターの副業でわりと稼いでいたので、独身だし、欲望のままに使っていましたからね。

むだな固定費は全部カットしたし、むだな遊びは全部止めた、ちゃんと計算したら止めざるを得なかった、、、釣り道具も全部売ったし、家にある今いらないもの、バイク、CD、服、靴、時計も全部無くなった、、、

でも、なくなってみたら、ぜんぜん必要なかったんだよね。

ムダをそぎ落とすと自分に足りないものと本当に必要なものが見えてきます。

ボクが本当に欲しかったのは挑戦する資金と時間。

借金の本当の怖さはこれ。

借金の返済で資金が無いとやりたい事ができなくなる前に、本来やりたかったことを忘れてしまいます。

例えば親孝行とか友人との時間、自分への投資などなど、申し訳なさとか、我慢しなければならないこととか、マジにつらいです。

 

このブログを通じてボクと一緒に「囚われない人生」を目指しましょう。

 

好きなことは、本を読むこと、映画やアニメなどの映像を観ること、k-popの鑑賞、バス釣り、イカ釣り。ここ5~6年始めたことはジム通いと筋トレです。

月収100万円達成や、借金800万円など天国と地獄を味わいました。

紆余曲折を経て、現在は会社員と副業の仕組み化で稼ぎつつ、「自由な時間」「友人」「健康」を大事にしながら、楽しく暮らしています。

「個人で稼ぐ力」「健康な心と体」があると自由な時間を生きることが出来ます。

ここに「資産」が加わると、さらに「安心」と「穏やかな生活」を手にいれることができるはず。

今現在は、借金もなくなり、固定費はミニマムなので余ったお金を投資に回すこともできています。

僕はサラリーマンに向いてない人間です【僕が考える仕事の定義】

 

まず僕は典型的なB型人間です。サラリーマンに向いてません。

  • 協調性が無い
  • 熱しやすく冷めやすい
  • 朝起きれない
  • 基本怠け者
  • 自分大好き

なにせ20歳まで自分の血液型を知らなかったのに、自分はB型だと確信していたぐらいB型なんです。

これまでの選択も思えば自分よがりでした。

  • 高校=中学の片思いの子が行こうとしてた高校
  • 大学=近くて安くてレベルがいいとこ

こんな基準で選んできたんです。

なので、サラリーマンには向いていません。

基本的に「いかに働かないようにするか」を考えて生きてきましたからね。

でも勉強は好きでした。

知らない事が分かるのは好きだし楽しいです。

はじめは、大学の教授がいいかなと思ったんですよ。

勉強しながらお金もらえるじゃないですか?働くっていう感覚と違いますよね。

でも、肝心の専攻していた「経済学」がポンコツでしてね。

これは学問と違うぞ!と。途中で気がついてしまったんですよ。

で、次にやったのがパチプロ。

パチンコの稼ぎだけで年収1000万円ありましたから、サラリーマンなんてアホらしい。

若いから、仲間もいて遊びみたいなものだし、これでいいかな?って思っていました。

将来的がちょっと不安だったので、ライター業にも挑戦して、将来はライター一本で生きていければ、これは楽かも?とね。

で、実際にライターもやっていました。

思いついたその日に原稿用紙に自分のキャリアなんかを書いて売り込みましたよ!

若いときの行動力は大事です。

しかし、そんな幻想は打ち砕かれます。

  • パチンコの規制で年収は維持できても時給がどんどん下がっていく
  • 動画にシフトし、ライターの単価が上がらない

そこで僕は計算しました。

「このままパチプロはジリ貧じゃん」

「時給計算したら、サラリーマン+パチプロだな」って。

そこで就職を決意。

パチプロをしていてもパチンコが好きなわけではありませんでした。

今サラリーマンをしてる理由もパチプロよりコスパが良いいからにすぎません。

僕が仕事を選ぶ基準は「時給」と「居心地」のみです。

 

思いつきで就職してみた!

最初の就職は中途で東京の一部上場の大手に就職したんですよ。時給がいいからね。

このときも今思えば、勢いで行動してましたよね。

なにせ自己PRとかの書類も一切書かずに履歴書のみで就職しちゃったからね。

それが可能だったのは、転職エージェントにいきなり電話したからですね。

リクルートが運営しているからココでいいやって感じでした。

リクルートが運営|フリーター、既卒、第二新卒に強い就職支援【就職Shop】

あっさり就職はできたけど・・

考えが浅かった!

通勤時間と物価の高さを考えていなかったんですね。

結果的に1年で辞めましたけど、もう少し考えてから行動するべきでしたね。

この反省を生かして、次に就職したのが地方の製造業。

 

1年で辞めて転職してみた!

これが大正解でした。

  • 地方は物価が安い
  • レベルを落とすと仕事が楽チン
  • 会社の近くにすむことが出来る
  • 好きなことをする時間を確保

もう安定収入として、これは最高。

で、次に職種ですが、

「資材購買」の仕事は、ボクのようなサラリーマン失格の人にも完全に適合します。

  • 命令されない
  • こびなくていい
  • 出世しない
  • 自分で仕組み化できる
  • 好奇心が仕事になる
  • 知識が資産としてたまる

完全に最高です!

知識が資産としてたまることで、本の出版を手伝うこともできました。

このまま実績を積んでいけば定年後にはコンサルタントととしての独立も視野に入ってきます。

今はコンサル業もパラレルキャリアの軸として育てています。

ボクも歳をとったのですっかり白髪ですね(笑)

2018.11.30_モノと情報の流れ公開講座 演習発表

コンサルタントの仕事は対人の仕事なので、絶対にAIに奪われない仕事ですから将来性もありそうです。

なにより

  • 初期投資がかからない
  • 自分の体がと知識だけが資本
  • 自分が一流でなくても仕事のニーズは無数に存在する
  • 地方都市であっても仕事ができる

こんな点もリスクがない!

資材購買の仕事を選べて最高です。

目標は「一生遊んで暮らしたい」

 

さあ、準備は整いました!

ここからは、速攻で仕事を辞めるために稼ぐ仕組み化をすることです。

パチプロは無理だと分かっていたので、僕が次に取り組んだのは「競馬」でした。

お気づきかと思いますが、ここでまた間違ってますよね。

まず不足してるのは「お金の知識」

お金を増やすには「稼ぐ」「増やす」「守る」の3つが必要です。

「競馬」も仕組み化すれば不労所得には変わりないですが、若いボクは「稼ぐこと」ばかりに頭がいってましたね。

今思えば「増やす」と「守る」勉強もするべきでした。

とはいえ3年ほどで競馬の仕組み化は成功し、今でも安定的に初任給ぐらいは毎月稼いでくれています。

これで、老後は少しは安心になりました。

最悪、パチプロとライターのスキルはすでにあるので、平日はパチンコでもして、競馬の基本収入で生活は出来そうです。

僕が今、ジム通いにこだわる理由

 

40歳になったボクはジム通いにドハマりしました。

これは、ボクの結婚観にもよるところが大きいので、興味ないと思いますが書きますね。

ボクは結婚は無理だと思っているんですよね。

そりゃ、好きな女子もいれば、お付き合いもしたい。実際にしてた。

でも結婚となると別です。

このままでは、ボクには将来孤独な人生が待っています。

一人老人になって、孤独にマンションの一室で逝くんです。

、、、イヤだよね? 普通。

ということで考えた結果、今はジム通いにフルコミットしています。

ジム通いを始めると、たくさんの良いことがあります。

  • 自分に自信がつく
  • 精神が安定する
  • 体力が出来て行動力が上がる
  • ポジティブな友人が増える
  • 若い女性の友達が増える
  • 仕事の効率が上がる

などなど、

「囚われずに生きる」「個人で稼ぐ」ということは「孤独に生きる」とセット。

なので「健康であること」はとても重要です。

 

過去のボクの経歴【努力の場所を間違えていました】

 

・小~中学校時代「プラモデル製作代行」「雑誌転売」「切手転売」で個人で稼ぐ楽しさを覚える

・初恋の子を追いかけて、高校受験2週間目に親にも内緒で志願高を変更

・初恋の子が受験に落ちて孤独な高校生活に絶望

個人で稼ぐことに没頭。パチンコの釘読みに熱中。

・高校時代は、生徒会長として、高校史上初の文化祭を主催

・その過程が「中日新聞社」と「週間プレイボーイ」に取材される

・大学はコスパで選択。東大なんか興味なし

・一番「近く」て「安く」て「レベルが高い」名古屋市立大学に一発合格

・レンタルビデオ屋・雑貨屋の店長を4年経験「開業」と「運営」を学ぶ

・大学院の受験中に「経済学」の無能さに絶望 ←現在は行動経済学があり有能

・パチプロとして個人で月収100万円を3年間継続

・「時給」を強く意識し始める

・某雑誌のパチンコライターを兼業。←FAXで原稿を送信してた時代

・5年間、雀荘とパチンコ屋を往復の廃人生活

社会に対しての生産性の無さと孤独すぎる将来が心配に

パチプロの「将来時給」の低下を予測。時給が有利な「就職」を選択。

・東京の一部上場企業に就職も、通勤時間のムダが耐えられず退職

・岐阜の工場に転職・ホワイトな職場で快適

・資材購買として働きつつパチプロの副業で月収50万円を20年継続

・将来の不労収入として「競馬」を選択

・競馬の副業で800万円を3年で返済

・「筋トレ」を開始 ←人生から「孤独」と「健康の不安」が取り除かれる

・「競馬投資」を仕組み化し、年間200万円の副業収入ができる

・「節約」「節税」「事業化」「資産」の大切さに目覚める

・本質を「ブログ」で共有したくなる ←いまここ

 

このブログの本質は「挫折してもOK」です

 

ボクもいまやアラフィフになろうとしています。

ボクの人生は、個人で稼ぐことに特化した結果「囚われない心」を実現していますが、3度の挫折がありました。

 

1回目:高校受験を初恋のために放棄して挫折

2回目:大学での専攻をなんとなく「経済学」にした結果、大学院受験に挫折

3回目:35歳で老後の資産形成に「競馬投資」を選んで成功も、考えることを停止

 

●ボクは「個人で稼ぐ」意味を間違えていました。

●独立して生きると「稼げるけど消耗」します。

●真面目な自分と自堕落を愛する自分に葛藤する人生です。

●真の「個人で稼ぐ」とは「資産になることをがんばる」こと。

●資産とは「時間」「友人」「健康」です。

このブログで発信すること

 

このブログで発信するのは「囚われない人生」「今とは違う未来を選ぶ」こと。

「仕事」「お金」「人間関係」に限らず、何かに囚われた人生は不幸ですよね。

ボクは最高で月収100万の贅沢な暮らしも、800万円の借金を抱えた惨めな気分も味わった経験があります。

囚われる=こだわることです。

こだわりを持つことは大事ですが、こだわりすぎると「囚われた人生」になります。

ボクが経験で学んだことをブログを通してお伝えできたらいいかなと思っています。

・大切なものは「時間」「友人」「健康」です。

・比較すべきは「他人」ではなく「過去の自分」です。

 

「時間」の大切さについて

 

「お金を稼ぐ」ことの本質は「自由な時間を得る」ことです。

経済学を大学院専科生まで学んだ経験と、実際に資材購買部でモノつくりを通じて、社会ともつながりながら、個人で稼ぐことを模索してきました。

個人では「パチンコ」「麻雀」「転売」「ライター業」で月収100万円を達成しましたが、「自由な時間」を得ることはできませんでした。

その経験から、「自由な時間を得る」ことができる稼ぎ方を試しつつ発信しています。

「友人」の大切さについて

 

「韓国語」と「ジム通い」をがんばったら、特に女性関係の人間関係が好転しました。

日本人が苦手でも、外国の方となら仲良くなれることもあるし、パチンコと麻雀ばかりしていた人生からジム通いという新しいフィールドに挑戦したら、新しい出会いもあります。

韓国語学習とジム通いは異性関係を好転させます。

そんな経験も発信しています。

「健康」の大切さについて

 

大学卒業後、20年間運動をしてこなかった人生から、筋トレを始めたことで、体重は10Kg以上増加し、低気圧が近づくたびに発生していた頭痛から完全に開放されました。

8年間のジム経験を生かして、会社の後輩、美容室の女性のパーソナルトレーナーとして食事と運動の指導もしてます。

ふつうの人の知識がどんなに間違っているかについて気がついてしまったので、わりと正しい知識について、学問的な視点から発信しています。

 

※ 以降は読まなくても大丈夫です。

ボクの詳細な経歴です。

当サイト運営者:まなぶんのプロフィール

 

東京で生まれ、東北地方を転々とした幼児期

東京で生まれたボクは、親が転勤族だったので、青森に引越ししました。

記憶にあるのは、幼稚園の入学式でストーブに抱きついて大火傷をしたこと。

好奇心旺盛な子供です。(アホの子ともいう)

その幼稚園には、通うことなく仙台に引越します。

仙台の幼稚園では、極度の人見知りで、登校拒否でしたが、毎日幼稚園の先生が迎えに来てくれたおかげで通えていたそうです。

ありがとう先生!

仙台には、小学校2年生までいました。

仙台育英高校の敷地に侵入したり、つつじヶ丘公園で走り回ったりして過ごしました。

宮城県沖地震で被災し、避難所生活も経験。

ボク自身は地震発生時に塀の上で遊んでおり、案の定、落下。

頭を数十針縫う大怪我をして、いまでも十円ハゲになっています。

おかげで短髪に出来ませんが、死ななかったのでOKです。

ひとつのことに集中しがちな幼小期

小学校2年生で転校したのは名古屋。

名古屋では、小学校教育が仙台より、半年分くらい遅れており、勉強が楽勝過ぎたので趣味に没頭していきます。

当時はガンプラが大流行中でした。

ファミコンが発売され、マリオブラザースも大流行したのはその後。

ゲームが無い時代に熱中したもの

・プラモデルに没頭し、小学生大会で入賞。ホビージャパンに掲載される。

・なぜか漢字にハマリ、毎日漢字を書きまくる

・なぜか生物の模写にハマリ、昆虫を模写しまくる

・切手と古本の売買

・英会話スクールに嫌々通わされる

特に漢字は、毎日、10枚ほど広告の裏にびっしりと書いていました。

古本屋と切手屋を自転車で回る⇒転売でお小遣い稼ぎ⇒ガンプラ購入

ちょっとあやしい小学生です。

中学時代の初恋が人生を変えた

中学校時代も、勉強が楽勝すぎたので、趣味に没頭。

当時はキャプテン翼とboowyとドラクエとおニャン子クラブが大流行中。

みんながサッカーとドラクエに夢中になる中、ボクがハマッたものといえば

・麻雀

・ゲーセン

・レコードレンタル

・オールナイトニッポンのはがき職人

この当時はネットなどありません。

ゲーセンでグラディウスの攻略にあけくれていました。

趣味はレコードのレンタルをして、ひたすらダビング。

深夜ラジオ「とんねるずのオールナイトニッポン」を聞きながら、麻雀の積み込みの練習をするという、なぞの中学生でした。

人生の転機① 高校入学試験

高校進学は、名古屋の一番優秀な学校も楽勝の学力でしたので、何も考えていませんでした。そして、願書を出す3週間前でした。

何も考えていないくせに、あろうことか、このタイミングで初恋をしてしまいます。

もう好きで好きでたまらないわけですよ。

そこで、アホで純真なマナブ少年がとった行動が人生を変えたような気がします。

先生に初恋の子の志望校を聞く⇒ 親に相談もせず志望校を変更

そして入学式当日に初恋の子はいませんでした・・。

ボクだけ合格してました。絶望・・・。

控えめにいって地獄だった高校生活

初恋にまかせて盲目的に入学した高校は悲惨でした。

・田舎の進学校で保守的

・校則が厳しい(ヘルメットをかぶって通学)

・文化祭が無い、かわりの催し物は「合唱大会」

・名古屋からわざわざ通う人が少なく孤独

特にヘルメットと頭髪検査に納得いかなかったボクは徹底的に反抗しました。

当時は、私服通学の議論がはやっていたので、マスコミに連絡。

・週間プレイボーイの取材を受けました

・生徒会長になり、文化祭を主催⇒教師と交渉し、開催する

・その様子を中日新聞社に取材されました

当時のボクは、同じ高校の仲間に、都会の高校が当たり前に行っていることを、体験してもらいたい一心でがんばったつもりでした。

でも、周りの視線は冷たいものでした。

「目立つあの生徒とは、かかわると進学に影響しそう」

そんな心理が働いているようでした。

そんなボクの高校生活は孤独すぎました。

そんな孤独から逃れるために熱中したもの

・パチンコ

・麻雀

当時、流行っていたものは、バンドブームとかですかね。

まわりがバンドに夢中になる中、ボクは学校に行かずに、個人で稼ぐ方法を模索していました。

当時はネットが無い時代です。

個人で稼ぐ道は、パチンコや麻雀の勝負の世界しかありませんでしたから、釘の研究などしつつ、自分で稼ぐ楽しみを知ってしまいました。

控えめにいって天才過ぎた高校時代

自分で言っちゃいますが、この当時は学校の勉強は天才だったと思います。

学校がボクに厳しすぎたので、

「勉強さえ出来れば文句は言わせない!」

という意地もあったみたいです。

高校の授業ではじめて気がついたのですが、ボクには特殊能力があり、国語が以上に得意。

古文と漢文がなぜか、すらすらと読める

室町時代の生まれ変わりかと思うほど

たった、それだけのことですが、それだけのことで

・高校3年間、勉強しないで、国語の科目だけ全国模試5位以内達成

・英語と国語だけで、名古屋市立大学に合格

大学受験は、調べるのが面倒だったので、名古屋市内・国公立・受かりそう、の3つの条件にあった、この一校しか受けませんでした。

運よく、当日は何年に一回かの大雪が降ったので、受験に失敗した人がいたと思われ、センターテストの数学が30点だったのに、一発合格してしまいましたよ。

アウトローにあこがれた大学時代

高校で反逆精神が芽生えてしまったボクは、すぐに家を借りて家をでます。
「独立して生きたい」「親のすねをかじるのは嫌だ」と思いました。

大学時代は、映画とCDがタダという理由で、週2回、ビデオ屋で時給700円ではたらきつつ、平日はパチンコと麻雀漬けの毎日でしたが、よい仲間にも恵まれて、人生で一番楽しくて輝いていた時代です。

ちなみに映画は1日3本観ていましたから、年間1000本×5年=5000本は観ましたね。

当時はVシネマが全盛で、これらを含めていいのか微妙ですが、特に単館上映やカルト系の映画が得意です。

このころ、一番の関心は「運」というものについてです。

人生は「ヒキ」がすべて、「運」がいい人生が最高だと信じていましたので、「運」がよくなることは、全部試していましたね。

とにかく大事なことは「自分の感性」であって、普段から「間違わない選択」ができる状態で過ごしていれば、直感で動けば「間違えない」のですから、「考えることはムダ」になります。

このころの自分は、清く正しく美しく、間違えず生きていた自信がありますが、社会人になると難しいですね。

なぜなら社会では、数字や大きさの基準が重要だからです。

現在は、この頃のように、自然や感覚の世界に戻ることに心を費やしていたりします。

大学院受験から、パチプロ時代

大学院受験は学力だけでなく、面接があり苦労しました。
そして、結局は人脈・コネ・資金力も必要だと気がついてから、興味がうせました。

自由な時間をすべてパチンコに費やした結果、月収100万円を達成。

しかし、お金を得ても、パチプロなんて所詮は社会のごみ。何も社会に貢献していないじゃないか。これからの人生これでやっていくつもりなのか?といった、疑問が生じ、パチンコライターとして業界で働いてみようと思い始めます。

パチンコ雑誌の申し込みに即効で応募。晴れてライターを副業とすることが出来ました。

当時は1ページ書くと7777円もらえ、買っていた雑誌と、その出版社から出ていたパチンコ雑誌がタダで送られてきましたので、わりと楽に稼ぐことを覚えることができました。

いま、フリーランスになりたいとか、何かを始めたいと思っていて悩んでいるのなら、それでは遅いです。

このときの経験上、成功できる人は、すぐ行動すると思いますよ。

▼20代 少しお世話になったパチプロ必勝本:辰巳出版

パチプロ引退の日

1997年9月19日。

この日がパチプロ最後の稼働でした。

高尾のアクアっていうコンティニューのセル替え(ってどっちも知らんか?)
3回権利無制限25回/1000円の台にて。

当時のボクはというと。

・日当3万円の台を月に10日程度の稼動で30万円平均のパチプロ生活。
・釘のキツイ土日はビデオ屋➕雑貨屋の雇われ店長。
・月に2、3日はパチンコ雑誌に記事を書くライター業。
・空いた時間は図書館で勉強か、大学院の専科生として大学通い。

という二重三重四重の生活で、40~50万円ぐらいの月収でした。

決して稼げなくて辞めた訳ではないんですよ^_^

では、なにゆえに廃業か?

パチプロは手段であって目的ではなかったからかな~?
たまに、幼稚園の頃から「将来の夢がパチプロ!」っていうナチュラルボーンな「身内」もいますがね(笑)

僕は似てるけどちょっと違うもんで…
で、急に心がしぼんでしまったんですよね~

そもそもボクは好奇心が止まらないタイプの人間なんですよ。
とにかく興味がわくと突き詰めて研究したり、やってみたいタイプ。

で、取り敢えず大学の教授になろうと思ったの。

でもいざ調べてみると、研究者の道はお金が稼げないじゃなーい!
30歳過ぎてからやっと収入が…って。
22歳の僕にはキツイ現実。

バイトで稼ぐには勉強の時間が無いっ。
得意のパチンコと麻雀で!となるのは必然でした。

稼げたし、仲間も沢山いて楽しかったしね。
でも、ある時、当時のパチンコ仲間が突然失踪する事件が発生します。

いつも遊んでた友人が突然イナクナッタ…
家に行ったらもぬけの殻だったのはショックでしたよ。
それからどんどん周りから人が消えて行く去っていく…

「次は俺か!?」

イや~な閉塞感がありました。

そしてサラリーマンになる事を決意。

パチンコで10時まで稼働するより、朝から5時まで働いて残りの時間で勉強できる方が良くね?
5年ぐらいの経験ならアリかもね?

なんて始めて既に25年…

そのままパチプロだったほうが…
又はライターを続けてたら…
はたまた雑貨屋の店長か…

どれが良かったのかは今はまだわかりません。
だって途中だからね^_^

サラリーマンをしながら、今は今の理想に向かって日々研究なのです。
まだまだ良否は決められないんです!
ただ、体力が落ちていることも事実。
今のままでは自由な時間が取れませんから、そろそろ次の展開も必要かもね?

読みたい本が多すぎる。観たい映画が多すぎる。聴きたい音楽が。行きたい所が…

多すぎる!

あ、17年前の稼動の結果はというと、3300回回して、大当たり確率660分の1だって。
途中8倍ハマリも喰らってたみたい^_^
25000円負け。

取り敢えず、サラリーマンになる事だけは必然であり宿命だったみたいです。

サラリーマンになる

ライターをしつつも、パチプロなんて所詮は社会のごみ。何も社会に貢献していないじゃないか。これからの人生これでやっていくつもりなのか?という思いは消えませんでした。

大学時代の友人は、NTTや地方銀行に就職する人が多かったものですから、徐々に話も合わなくなっていきます。

だんだんと孤独感とあせり、フリーランス特有の恐怖が大きくなり、人脈とか、人のつながりが欲しくなりました。

1997年10月に、すべてを捨ててサラリーマンになってみようと思いました。

最初に就職した会社は一部上場のパチンコ周辺機器のメーカーでした。

しかし、東京の生活は過酷です。無駄な通勤時間・まずい水・高い食費。すべてがムダに思えてすぐに退職。

そして、岐阜の田舎の製造メーカーに就職します。

田舎の会社は快適です。

会社まで徒歩5分ですし、物価は安い。そして何より、人が優しい。

もともと、勝負の世界で生きてきましたから、白か黒かという2極化された世界ではない、無償で優しいと言う環境は新鮮でした。

金銭的には、恵まれてはいませんでしたが、土日にパチンコで稼げばいいだけのこと。

なにより、モノつくりの世界に強く惹かれました。

自分たちで作ったものが、お店で売っている。世界中で使われる。と言う喜び。会社のみんなで苦労して作り上げると言う集団の達成感を経験すると病みつきになります。

社会人になってからは、中途採用の引け目もあり、猛烈に勉強しました。

なにせ、まったくの新しい世界です。イチからの勉強ですから、並の努力では追いつけません。

このころの経験と、人脈がきっかけで、生産管理系の本のなかの、熱血改善マンのモデルとして、製作に携わる経験をさせていただきました。

▼ボクがすこしだけ携わった本「トヨタ式革新への道」

amazonで中古10円で売っています(笑)

もうひとつ、カルチャーショックがあり、それは、家族で暮らすということです。

18歳で家を出て以来、個人で暮らしていました。もともと核家族で転勤族の家庭で育ったため、それが当たり前だと思っていたところに、地元で一生を過ごすこと、2世帯3世代で暮らす家族。という世界は衝撃的です。

このときに、お金なんて稼がなくても、生きていくことは出来るなと確信します。

では、お金よりも大事なものは何だ?

それは「自由な時間」「友人や家族との時間」「健康な体」ではないかと思い至ります。

そして現在

独身でカラダを壊したら生きていけない。

30代後半から、競馬投資の自動化システムを構築しました。

これは、一定の利益を自動で上げてくれますが、少しメンテナンスの労力が必要で不十分です。

40代で、健康寿命を意識してジム通いを開始。

ジムに通い始めたらまた人生が一変します。

孤独だった人生に、ジム仲間ができました。

自分に自信が出てきたためか、外出の機会も増加・クラス会などの催し物にも参加しているうちに、失っていた人とのつながりも回復します。

低気圧が接近するたびに発生していた頭痛からも開放され、いつでも穏やかな心で過ごすことができています。

人生の本質として まとめ

ボクは生まれつきサラリーマンに向いてない性格です。

いい加減で、楽をしたくて、プライドだけ高くて、勝負事が好き。

一般的な社会の常識とずれているから深い人間関係も築けない、、、

そんなボクが独立し生きていこうと思ったら、必要なものは何か?

そんな本質で生活を見つめなおしたら、人生が一変しました。

繰り返しになりますが「個人で稼ぐ力」「健康な心と体」があると自由な時間を生きることが出来ます。

ここに「資産」が加わると、さらに「安心」と「穏やかな生活」を手にいれることができるはず。

一緒に「囚われない生活」ってやつを目指してみませんか?