当ブログに興味を持っていただきありがとうございます。
こんにちは。このブログを運営している@パチプロ兄弟です。
@パチプロ兄弟は、その名の通り、兄弟でパチプロ生活25年という、
なんとも親不孝な息子たちです。
今回は、兄貴のほうのプロフィールを、過去の名機と呼ばれた機種の説明に重ねて紹介させていただきます。
今回はその2となっております。
当ブログ@パチプロ兄弟のプロフィール:兄貴編その2
その⑤エビスVでエビスパニックで人生初の大勝ち
藤商事 エビスV
確率1/225 賞球7&15
出玉2300個 数珠繋ぎ連チャン機
史上最強のエビスⅢをさらにパワーアップさせて世間を震撼させた最強マシン!
7で当たると3/4で連チャンに突入し、次回7で当たるまで連チャン。
しかも7で終わったと思いきや3/4で生き残る。
平均連チャンは驚愕の20回
これが噂の「えびすパニック」
さらにさらにモーニング機能があったから大変。
当時、このシマは朝から獣のような猛者が集い鉄火場さながらの雰囲気でした。
当時の友人なんてハチマキをして、頭に20万円の札束刺して入場。気合をアピールしてたかんね^_^
しかもそのまま遊戯する^_^
オイオイ、それは大学の授業料だろう。
なくなることは考えないのかねえ。
で、それがだんだん無くなっていく。
最後の一枚になったら、シマの人たち、店員さんがたちから哀れみの目が…(°_°)
こっちが次の日行きづれーわっ!
仕組みは、左右「運チャッカー」(すげ~ネーミング)に入賞したら、中央の電チューが解放しデジタルが回転するのですが、実はその玉での抽選確率はゼロ!
電チュー解放時以外のヘソ入賞でのみ、抽選が受けられる仕組みになっていたのです。
さらにリーチ中の入賞も抽選確率はゼロ。
電チュー入賞はえびすパニック時のみ1/14で抽選する仕組み。
だから、ちょっとパチンコができる人が逆に大負け(._.)
だってよく回る台打つかんね。
朝からスルーの釘見てんだから。
「へそはガチガチだけどスルーが開いてて、よく回る美味しい台があるよ」
なんていって打ってたから、アホ丸出しだよね。
大学生のボクは、48連チャンしたことがあって、確か店内で競馬放送を流してたから、名古屋の金山のwinsの近くの店だった。
当時は別積みは存在しないから、台の周りが要塞みたいになって、外から自分が見えない、、
当時は「城」って呼んでたけどね。
その店の記録だったらしく、アドリブ王子みたいに写真を撮られて、しばらく店に貼ってあったな~。
これはこれで翌日行きづらいって!
その後、ボクはこの軍資金を元に、パチプロ生活の入り口に立つのでした。
あと聞いた話だけど、朝から閉店まで連チャンし続けたお兄さんがいたそうな。
で、換金の時に事務所に呼ばれて無理矢理無修整ビデオと交換させられったんだって。
「お兄ちゃん無修整やで~」って。
で、その無修整ビデオは、中学生の無修整って話だったんだけど、再生したら中学生が延々と卓球のラケットを降り続けるっだけっていう^ ^
いつ脱ぎ始めるのか待ってたとか待ってなかったとか…(._.)
その店、今じゃ大手チェーン店ですからね。
すごい時代でした。
その⑥:西陣デジパチの芋連の時代。孤独でした。
今は昔。パチンコメーカーといえば、平和、三共、西陣だった。
この頃は海物語も仕事人もまだ世に出る前だから。
西陣は和風路線で花鳥風月や春夏秋冬やサイタサイタとか、サラリーマンをモチーフにしたビアホールとか麻王とか独創的な台を出してたね。
上の春一番は4つのモードで数珠連を演出していた。1/8で当たるモード3が連すれば、数珠連ってわけね。
で、各モードはランプの光り方で外部から判別可能で、どのモードからでも、モード3に移行できる攻略法があったんです。
難易度は相当高いんだけど、その辺りを攻略したのが、当時有名になった梁山泊なんですね。
とんねるずのパロディで“尿蛋白”っていうのができるほど有名になったよね。
ただ、自分の場合思い入れがあるのはミラクルフォース。
役物の勇者と怪獣がカチカチ動くんだけど、デジパチで役物が動くのは衝撃だったんです。
今は当たり前だけど、この動きに連チャンの仕組みが隠されてるんじゃないかと思って必死で研究した^_^
何もなかったっぽいけど(^^;;
数珠連機は別名、芋づる式連チャン機とも呼ばれていて、僕らは打ちに行く事をお芋掘りと言っていた。
その頃は例の友人宅に2人だったのが、いつの間にか同じ階の家に寄生していた数人も合流してきていて、お互いにもたれるようにグズグズとしてきたんだ…
人間何もなくなると本当に何もしなくなる。
そこに居たのは、ただただ他人に依存しようとして生きている人たちだったから、ある時、
「ちょっと芋掘ってきます。勝ったらお金あげますから。」
って言ったっきり、その家を出てきてしまった。
で、行くあてもないから、そのまま栄の街に出て、夜はゲームセンターで寝泊まり、
昼間はパチンコっていう生活を数ヶ月続けたんだっけ。
当時は漫画喫茶なんてないし、時には公園で寝たり…
実家に帰る事は何故か考えられなかったな~
小博打だけど、勝ち負けだけの人間関係。
それぞれの場所でちょっとした顔にもなってきたりして。
世間的には何の価値もないことなのに
自分が何物からも独立して生きている感覚が心地良かったんだろうね。
若い若い^_^
でもいい時ばかりじゃない。
朝となり夜が来るように、やがてピンチの時が訪れるのでした…
その⑦ファイナル
すごく思い入れのある台だけど、どーしても写真が見つからないので
奥村遊戯さんのHPの画像から転用させていただきました。
奥村遊戯 ファイナル
平台ですがゴリコップタイプの連チャン機ですな。
確 率:1/45
賞 球:6&13
出 玉:1,500個
GOチャッカーに玉を入れると、鋭利な三角形のハネが開きます。
(このハネの尖がり方が最高!)
で、玉を拾うとデジタルが回転。
77か33で止まれば、約物の回転体が動いて上部のVゾーンに玉を
運んでくれて権利発生する仕組み。
デジタルの連チャン性で、平台とは言えない爆発力を持ってた。
当時、平台の最終形!!という触れ込みで奥村遊戯が満を持して
投入したんだけど・・・どこにもなかったよね。
雑誌で新台紹介された時から、そのフォルムとか、ゲーム性に
ワクワクしてた!
結局、解析とかも出ずに、レア台として姿を消すことになるんだけど
釘の見所も複雑でゲーム性もわかりにくかったから、釘が読めれば
すご~く美味しい台だったんです。
客いないから釘も見放題だし、もうすぐ当たりそうな台も捨てられたり。
(たぶん、ダイナマイトとかゴリコップみたいなモード管理だった?)
さて、前回のブログで栄に数ヶ月住み着いていたと書きましたが
どうしてそんな生活が可能だったかというと、この台が栄のビジネス街
のパチ屋にひっそり設置されていたんです。
ビジネス街は夕方からしか客が来ないし、サラリーマンが遊びで打つ程度。
朝から終日打つ人なんていなかったから釘は甘甘(笑)
今はどうかわからないけど、当時は雑誌で紹介されらたら自分で
ボーダーとか計算して、打てそうな機種を絞込み、自分の足で設置店を
探してたんですよね。
たまたま栄に住みついてた時に、たまたまこの台と出会えたんだけど、
見つけた時の感動っていうか、そんなのにも一喜一憂できたんだよな~
当然、連戦連勝。
当時コインロッカーにお金は入れて、持ち物はタネ銭と缶のショート
ピースと快適Zっていう頭痛薬に眠眠打破だったかな?カフェインの
ドリンクの七つ道具だったんだけど、ロッカーの金はどんどん増えて100万
は軽く超えてた。
ネグラの名駅から栄までタクシーで通勤?してたぐらい。
ただ、そのお金は3日でなくなったんだよね~
この頃、夜は寝る所がないから、麻雀を打っていたんだけど、
これも負けない。負けられない。
はじめは学生相手の麻雀ゼミナールからはじめて、だんだんと高レートに
なって、最後にはティッシュペーパーの箱にお金を入れて、点棒を使わない
麻雀をしてたから、結構な高レートだったんだろうな~。
そこで、ある日とんでもない男に出会っちゃった。
普通の人でさ。
なんていうか、麻雀はうまくない。でも強い!
相手の手も読まないし、捨牌も読まない。
ただ自分の好きなように打つだけって感じ。
半荘のはじめは負けてるんだけど、最後には速くて高い手がどんどん
来て、勝手にツモって全員ハコテンみたいな。
こっちが策を弄すれば弄するほどにツキが太くなっていく感じ。
最後に心が折れた時の手はよく覚えている。
こっちはホンイツ一通の三面待ちリーチで相手も追っかけてきた。
で、ちょっと考えて
『フリテンしてたから、オープンばいよ!』
ってオープン。イースーピン待ち。
で、一巡目カン!案の定のハイテイツモ!
あがると必ず指を折って数える。
『リーチ、オプー、イッパツ、チュモ・・』
『おいちゃん、一発はつかないよ』
(オプーってなんだよ。それにツモって言えよ・・)
『で裏ドラは?』
『リーチ、オプー、ハイテイ、チュモ、タンヨウ・・・うーん。ドラいっぱい!!』
親のトリプル・・・。
ドラいっぱいとかなんだよ~。そんな役ねーし・・。
もうね、毎晩そんな感じ。
リーチ、一発ツモ、赤赤裏裏とか。
3日連続挑んで3連敗してね、最後は絶対にこいつには勝てね~って
思ったっけ。フラフラだったよね(笑)
パチンコで1000回2回連続とかハマるとたまになりませんか?
目の奥が固まった感じになって、頭がぼーっとして、席を立ちたくても
立てないみたいな。
何が起こってもダメなのわかってるんだけど何もできない・・みたいな。
・・・もう何とも言えない気持ちになって一晩中歩いたんだっけ。
そんで途中のセンチュリーホテルの噴水でぼーっとして。
1993年~1994年の冬だったと思うけど、まだ二十歳かそこらで
けっこう悲惨だったな~。
そういえば、あれから寒いのが大嫌いですよ!
そして朝になって、いつものホールに行くとファイナルは撤去されてて。
悪いことは重なるというか、運命というか、もう栄にいる意味もないし
潮時ってやつですか?
勝つのはゆっくり
でも、落ちるのは相当早かったからね。
ホント油断大敵、おごれるものの久しからず。
気をつけましょう!!
しかし捨てる神あれば拾う神あり、悪い事があればいい事があるのも必然。
このあとも出会いがあってね・・・
あ~あの台を打ってたときな。
長くなったので、続きは、その3に書かせてもらいますね。
パチンコがいくらうまくても、競馬でいくら稼いだとしても、世間から見ればニートです。
カラダを壊したらおしまいだし「世の中に何も貢献していない」という想いを背負って生き続けるのもつらいですよ。
だから、わたしはパチンコや競馬で稼いだお金の一部を投資に回すことをオススメしています。
勝負師としての感覚は投資の世界で超有利です。
世間はサラリーマン脳であふれているから、少しお金の勉強をすれば、投資の勝負でも軽く数千万の資産を築けますよ。
なにより「投資家」という肩書きであれば、職業欄に「無職」と書かなくて済みますし、税金を払って生活しているから、世間からも許されるでしょう。
ボクの主戦場である仮想通貨投資の方法は以下のブログで発信していますから、興味のある方は是非コチラの世界にも挑戦してみて下さい。
↑パチプロが仮想通貨投資をはじめて、資産家になったノウハウを詰め込みました。