当ブログに興味を持っていただきありがとうございます。
こんにちは。このブログを運営しているNimU@パチプロ兄弟です。
@パチプロ兄弟は、その名の通り、兄弟でパチプロ生活25年という、
なんとも親不孝な息子たちです。
今回は、兄貴のほうのプロフィールを、過去の名機と呼ばれた機種の説明に重ねて紹介させていただきます。
ちなみに兄貴はこんな男
弟のほうは専業一本25年ですが、兄貴のほうは出来が悪くて、大学院に行ったり、サラリーマンを少しかじったり、競馬が本業だったりと、少し軸がぶれております。
しかしながら、だからこそ弟よりも、より体系的に科学的に稼ぎ方をお伝えできるはず。
当ブログ@パチプロ兄弟のプロフィール:兄貴編その1
その①ソルジャーとの出会い
マルホン ソルジャー
確率1/283 賞球6&13
確変突入率20%
平均連チャン7回
3か7で大当たりすると、次回3か7で当たるまで連ちゃんという爆裂仕様。
通常当たりの最終ラウンドフルオープンで次回の確変突入率が80%になる裏ワザが存在したが、けたたましいエラー音に耐えられる人は少なかった。
当時のボクは20歳。
平台と一発台しか打ってなくて、負けなしだったのが、一発台の撤去とともにパチンコがつまらなくなり、コンパばっかしてた^_^
そんな時に悪友に「とんでもない台があるよ、10万勝てるよ。フフフ」なんて言われて、初めて打ったデジパチがこの台です。
車を買ってお金が無かったので、消費者金融で10万を借りて打つという暴挙に出たのでした。
「10万の借金で月に3千円返せばいいんだぜ」などと、わけのわからない事を言われて、「オイシイじゃん!」なんて思ったような^^;
当時、平台と一発台は釘が読めれば、勝ててた時代。パチンコは銀行だと思ってた。
場所は忘れもしない、名古屋の新瑞橋の新瑞会館。通称「アラカン」
地下鉄駅前のローソンの2階のレイクで、お金を借りた。当時は直接現金手渡しだった。
初のデジパチの結果は、10万ストレート。
この台、大当たりすると、前回大当たりの数字が台のセグに表示されるんですが、シマで自分の台だけ消灯状態だったよね。
それ以来一回も打たないまま、攻略法が出て撤去され、結局、当てられなかったな…
延々聞いたあのデジタルの回転音、未だに耳に残ってるよね。
哀れパチンコ上手のプライドもボロボロにされ、18万借金(そのあと追加で8万借りた)となった大学生は、せっかくキャンパスライフを謳歌していたのに、再びパチンコ漬けになって行くのでありました。
こっからボーダー理論を覚えて、脳内カウントの日々が始まるのです。(シミジミ)
この出来事がなければ、その後パチ生活に突入することもなかったかも?という感慨深い台でした。
その②ダイナマイトで内部の仕組みの大切さを覚えた
大一 ダイナマイト
確率1/42
賞球6&13
平均出玉1900個
連チャン率80%
ボーダーは2.5円無制限で千円2回
天国モードは7しか出ないので、連チャンは強烈な反面、地獄モードはまさに地獄。地獄から天国へは3から以降するが、移行しない3があるから厄介で、最後の500円で3が出た日にゃ~、当時は銀行ATMなどない時代。友人同士でのお金の貸し借りが日常になったんですな。
大概、次に5が出て、さらに1、次は3、最後に2→4で死亡っていうパターンなんですがね(ToT)/~~~
連チャン仕組みは、4秒一周のカウンターに細工があり、大当たり乱数はカウンター後半に集中。
地獄モードはカウンター0からスタートして乱数を拾うのに対し、天国モードは半分進んだ512からスタートするから、カウンター後半の乱数=つまり7 を拾いやすいっていうわけ。
だから、天国モード中は電チューに玉を拾ったら、肩スルーに玉を通さないようにすることで、天国からの転落を防ぐ工夫が必要だった。
すげー斬新だよね。
だから当時このシマでは、玉が入賞したら、みんな手を離すから、あちこちでピクっピクっってしてる光景がすごい面白くて^_^
で、大当たりする時のダイナマイトの音がボキューン!!ってすごい音がするから、さらにピクピクって。
中には心臓麻痺で死んじゃったっていう話もチラホラ。
スロットのピカ五郎と双璧の衝撃だった^_^
前の記事にボーダー理論に目覚めたみたいなことを書いたけど、この1992年から1995年ぐらいの間は、魅力的な内部構造の台が多くて、まだモーニングとか、ゾーンとかを追っていた時代。
釘云々よりも、内部の仕組みを知ることで試行錯誤できた楽しい時代だったんですね。
本格的にパチプロ気取りになるのは、まだ先の1996年のこと。
この当時、名古屋のはずれの某チェーン店で、朝一出目が3と7の店があり、毎朝並んでカニ歩きしては負けてた…
よく考えれば、天国の台をおいておくほど甘い商売人はいないよね。
当時はそういうことも考えられない純な少年でした。
その③アレジン
藤商事 アレジン
1/273 賞球ALL16 もうALL16ってだけで懐かしい!!
平均出玉2000個
左肩のスルーを通すとデジタルが回転し、1、3、5、7が揃うと中央のラクダの羽根が解放。
中央V入賞で権利発生。あとはゴム打ちで消化する。
1/8の天国モードが1つと、大当たりしない地獄モードが15個あり、デジタルが回転する毎に1/16でモード移行抽選される仕組み。
1/16×16モードで1/273の確率ってわけ。
天国の大当たりは1/8だから、平均連チャンは3回と意外に少ない。
当時はもっと爆裂のイメージだからB基盤だったのかもね。
アレパチって最近の人分かるのかな?
アレキングやエキサイトに始まって、アレンジマンとかチャンコとか、あとで紹介するスーパーアレパチ・・。
ピュイピュイ!ってリーチが頻発すると天国突入のサイン。
首尾よく大当たりすれば
ジャジャジャジャーン🎶
ジャジャジャ🎶
ジャジャジャジャーン🎶
ズッキュ・ズッキュ・ズキュ🎶
あの音楽が流れる。
モーニング機能があったから、朝一731の出目で、黙って5千円勝負!っていうのが当時の鉄板。
そういえば、今ではおおよそ考えられないけど、オバちゃんがこの頃からホールに多く見られるようになってね。
隣の台が大当たりすると、左右から台を叩く叩く!
他人の台ですよ Σ(・□・;)
もう、ピュイピュイ言い始めたら、構えてるからね。
防ぎようがないワケ。
Vゾーンに入らないと権利発生しないから、左右から叩くと真ん中に来やすいと思い込んだオバちゃんが親切でやってくるんですわ。
それでVからポロって外れる事もあるから、こっちはたまったもんじゃない。
けどね・・・、それでも笑って許せる寛容な雰囲気っていうかね、そういうんがパチ屋にはあった時代だったんです。
1992年から1994年ぐらいの頃かな?
ちなみに下は後継機のアレンジマン。
こいつは初期の頃は意外と連チャンしなくて、新台で結構やられました。
その④スーパーアレパチは大学生生活を変えた
太陽電子 スーパーアレパチ
確率1/50 賞球ALL16
平均出玉1900個
平均連チャン4回
役もの(=ラスカルっていうの^_^)の中央に入賞すると、デジタルが回転。
3は小当りで7がでると大当りで権利発生。ゴム打ち消化。
やっぱり自分はアレパチといえばこれ。
この台は出目に移行法則があって、7は3からしか出ないのはダイナマイトと同じだけど、3は、0、1、2からが10%。それ以外からが2%だったんですね。
当時はあまり知られていなかったから、0、1、2が落ちてた。
名古屋の新瑞橋の京楽会館に朝行って、取り切ったら近くに下宿してた友達の家でスーファミやって、一時したらまた店に行って回してで、それだけで相当勝てました。
今は無いけど、当時は大当たりしたら、台の右上にプレートがあって、普段は横に刺さってるのを、縦に刺すと店員さんが箱を持ってくる。
長州力のテーマソングが流れたりした店もあったよね。
連チャン中は、オリャ~とか言いながら、自分で刺すのが優越感というか楽しくてさ~^_^
箱持ってこ~いっ てなもんですわ。
後に世の中を震撼させる「CRバカづき浜ちゃん」に繋がる系譜の台何ですが、個人的には初めて実家を出て人の家に住みついて、その中で様々な出会いがあり、事件が起き…
ダメな人がいっぱいいて、その中に埋もれそうになっていく自分がいてね。
この台の終了と共に、寝床は雀荘、昼はパチンコ、食事はローソンの特選肉まんというクズの時代に堕ちていくのであったな~ 鬱。
時代はCR機の登場とみなし機の撤去でパチンコ屋からパーラーへそしてホールへと大きく変わろうとしていたのに、デジパチに馴染めず、ついていけなかったんですね~
後に救ってくれるのが、まさかあの出会いだとは…
長くなったので、その2に続きます。
パチンコがいくらうまくても、競馬でいくら稼いだとしても、世間から見ればニートです。
カラダを壊したらおしまいだし「世の中に何も貢献していない」という想いを背負って生き続けるのもつらいですよ。
だから、わたしはパチンコや競馬で稼いだお金の一部を投資に回すことをオススメしています。
勝負師としての感覚は投資の世界で超有利です。
世間はサラリーマン脳であふれているから、少しお金の勉強をすれば、投資の勝負でも軽く数千万の資産を築けますよ。
なにより「投資家」という肩書きであれば、職業欄に「無職」と書かなくて済みますし、税金を払って生活しているから、世間からも許されるでしょう。
ボクの主戦場である仮想通貨投資の方法は以下のブログで発信していますから、興味のある方は是非コチラの世界にも挑戦してみて下さい。
↑パチプロが仮想通貨投資をはじめて、資産家になったノウハウを詰め込みました。